Collaborations
Jungle Dialogues
幻の密林に、ルーツを探る——野食ハンター・茸本朗 × MAWSIM
2026/02/14
『野食』とは何か。
それは、野外に出て、そこに生息する動植物や菌類などを、自ら採取して食すること。
本来、人間が生きるために身につけていた技法でありながら、ほとんどの現代人が忘却した行為である。
そんな“失われた知覚”を、軽やかに、そして深く掘り起こす人物がいる。
野食ハンターとしてYoutubeを中心に活躍する茸本朗氏は、「狩猟採集」を「野食」として再定義し、情報と飽食の時代に向けて、知的好奇心のエンターテインメントとして発信している。
これまで「再発見」をテーマに、熱帯アジアのボタニカルを蒸溜してきた MAWSIM にとって、未知の密林に分け入り、根源的な懐かしさと邂逅することは、ある種の悲願だった。
今回のコラボレーションは、野生の香りへの回帰——その目的のための、最良のタッグだったといえる。
茸本朗
YouTuber/エッセイスト/漫画原作者/タレント
早稲田大学教育学部卒業。野生動植物・菌類等を採集して調理し、日常生活に活用する「野食」を生業とし、その様子を各種メディアで発表している。YouTubeチャンネル「野食ハンター茸本朗ch」の登録者数は48万人。書籍、メディア出演多数。
X:@tetsuto_w
https://www.youtube.com/channel/UCSbe4o0yCVbo9cUxAPT9t_g
茸本氏の野食の対象には、しばしば外来種が含まれる。
いや、むしろ積極的なターゲットになっていると言ってもいい。
そこには、人間社会がもたらした自然環境の歪みに対して、無責任にヘイトを叫ぶのではなく、おいしく食べて解決してやろうじゃないか、という軽妙洒脱な啓蒙がある。
その視線に、日本でも猛威を振るいはじめた外来水草「ホテイアオイ」が引っかかった。
必然的に、それを原料の一部とする MAWSIM へと話が及び、「環境課題を、蒸溜という営みを通じて価値に転換するアプローチ」に大いに共感いただいた。
以降、複数の映像企画や、MAWSIM メンバー・西依の出演を通じて対話を重ね、「語り合う関係」から「共につくる関係」へと少しずつシフトしていった。
茸本朗、ボタニカルを“掘る”
きっかけは、一通の招待だった。
カンボジア発のラグジュアリーリゾート「Shinta Mani Wild」から、「ぜひ現地を体験しに来てほしい」というメッセージが届いたのだ。
カルダモン山地の懐に抱かれた、350haのその土地は、人の手がほとんど入っていない熱帯雨林に覆われ、野生のスパイスとハーブが、今もなお自生する稀有な場所。
MAWSIM が探し続けてきた「驚き」と「懐かしさ」が交差する香り──その幻影が、この密林には、神話のように広がっていた。
すぐさま思い浮かんだのは、茸本朗氏の顔だった。
このジャングルで、彼と一緒に香りを探す。
そして、彼の目と鼻と舌で選ばれたボタニカルで、ジャングルを丸ごとボトルに閉じ込めたような──そんなジンができるかもしれない。
連絡をとると、企画は一瞬で決まった。
氏にとっては初の海外ロケだったが、「野食の聖地」とも言えるカンボジアには、もとより強い関心があったようだ。
私たちは現地で合流し、撮影とフィールドワークを含めた共同プロジェクトが動き出した。
Shinta Mani Wild をベースキャンプに、カルダモン山地のジャングルに分け入る。
湿気、土壌、植生、そして時折吹く風の中にただよう香り──
そのすべてを身体で感じながら、茸本氏は、自らの蓄積してきた知見と勘を頼りに、ボタニカルを見定めていく。
なかでも、MAWSIM が着目したのは「ワイルドターメリック」と「ワイルドガランガル」──
ともに熱帯アジアを原産とする、ショウガ科の根茎だった。
栽培種にはない、野生種ならではの荒ぶるアロマ。
ターメリックは、湿った大地を思わせる深く温かな苦みと、ほのかな甘み。
ガランガルは、熱帯に吹く一陣の風のような清涼感と、芯を貫く鋭い辛み。
そして、MAWSIMのシグネチャーである「SPICES & HERBS」とこれらを掛け合わせたとき、幾層にも積み重なったスパイス文化史的レイヤーの中に、「剥き出しの野生」が、確かに息づいているのだった。
密林の一滴を、記憶に変える
「野食」も「蒸溜」も、知的探求の発露である。
狩猟採集時代、人類の知識の大半は可食性の判別に費やされていたし、メソポタミアに起源を持つ蒸溜は、やがて科学の源流のひとつとなった。
であれば、両者は「野生」と「文化」の〈あわい〉に立つ営みとも言えそうだ。
野食は、より野生に近く、より根源的で、一回性の連なりである。
そして蒸溜とは、そうしたエフェメラルな野食の断片を、そっと接続し、香りという文脈において封印することで、刹那たちに構造と余韻を与える試みなのかもしれない。
そう思えば、コルクの下には、野生と文化の〈あわい〉を往還した記憶が、今もしずかに揺蕩っているのだった。
