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Age of Rediscovery

新大陸も、胡椒の実る植物も、はじめから誰かの傍らにあった。
すでに在るモノの、新たなる価値に気づくことを、私たちは再発見と呼ぼう。
さあ、再発見時代の幕が開ける。

“MAWSIM”とはアラビア語で「季節」の意。季節風(モンスーン)の語源。
大航海時代にスパイスを求めた数多の帆船を運び、
鎖国時代の長崎にオランダのジンを届けた「風」に因んで。

  • MAWSIM GIN
    自由に世界を旅するスピリッツ

    オランダで生まれ、イギリスで大流行したジンは、海洋国家であった両国の船乗りとともに世界中を旅し、17世紀には極東の鎖国国家にまで辿り着きます。そして、英蘭の商船が熱帯アジアから持ち帰った黄金のようなスパイスが、ジンの進化と帝国主義をもたらしました。

    しかし帆船時代の帝国海軍にとって、マラリアや壊血病は、大きな脅威でした。ジントニックやギムレットは、これらに抗する薬として誕生し、以来、あらゆる洋上や寄港地で愛飲され、世界中に伝播しました。

    私たちは、こういうジンの旅を、別の視点から再定義します。それは、主要なボタニカルの原産地こそが、新たなる出港地たるべき、という視点です。これこそMAWSIMが、スパイスやハーブの宝庫である熱帯アジアのカンボジアで、ジンを蒸留する理由です。

    産地でしか手に入らない青々とした生胡椒の実。山地に自生するカルダモン。ライムやコブミカンなどの瑞々しいシトラス。そして19世紀に抗マラリア薬として移植された、トニックウォーターの原料でもあるキナの樹皮。—かつて「発見」の名の下に搾取された良きモノを、再発見という文脈で繋ぎ合わせ、新しくて懐かしい服を着せて、世界を旅させます。

  • ケルデル瓶

    ケルデル瓶(Kelderfles)とは、ケースボトル(Case bottle)を意味するオランダ語で、12本単位で梱包されて輸送された「ケース」に由来します。ケルデル瓶は正方形の垂直面を持ち、このケースに隙間なく格納できるために、輸送効率に優れ、多くの緩衝材を必要としない、中近世の省エネボトルなのです。

    1570年代以降、オランダ・ベルギー・ドイツ北部で一般ビンとして製造され、1770年代以降の世界的なジンの消費増大に伴い、垂直型からテーパー型に形を変えます。垂直型は、金型から引き抜くときにくっつく傾向があり、大量生産に適さなかったからです。

    MAWSIMのジンボトルは、このケルデル瓶を再構築したものです。ゼロベースから型成形し、東京下町の工場で半人工で製造しています。
    未知の密林や中世の海原をイメージした特別な色の、特別なクラフトジンを満たすに足る、特別なクラフトボトルなのです。

  • MAWSIM PEPPER
    胡椒、それは刺激的なフルーツ

    世界中のあらゆる地域で、何世紀もの間われわれの食欲を刺激してきたこのスパイスの王様は、しかし熱帯のごく一部の季節風林でしか生育しない、ツル性植物の果実です。

    私たちが究極の胡椒を求めたカンボジア東部のモンドルキリは、クメール語で「山と出会う処」を意味し、国土の大部分が海抜100メートル以下の此国においては、稀有な高原地域です。この地で産される胡椒は、私たちが今まで出会ったどれよりも果肉が豊かで、香り高いものでした。熱帯らしからぬ夜の寒さが、植物の呼吸(=炭水化物の分解)を抑制し、果実に回る栄養が損なわれないからです。また、豊富な水資源と水捌けの良い土壌、長い日照時間とそれを和らげる霧も、胡椒の風味を育みます。

    MAWSIMの胡椒は、この自然豊かなモンドルキリの、農薬や化学肥料が使われていない契約農園で、100%有機農法によって栽培され、収穫から出荷までの全工程が人の手によって行われています。農園はカンボジア人による経営で、公平で直接的な取引の下、徹底した品質管理とそれに見合った報酬を支払っています。

  • スパイスボックス

    MAWSIMのスパイスボックスは、京都で製缶される伝統的な茶筒の流用です。吸いつくような開閉感の精緻なブリキ缶は、スパイスや茶葉のような、高価な乾燥植物の密閉保存に最適です。それゆえにMAWSIMは、安易に真空包装を選びません。スパイスにとって、真空パックされてから消費者に届くまでの時間より、開封されてからの時間の方が、ずっと長いからです。そして何よりもプラスチックを使いたくありません。将来に渡って、美味しいスパイスを育む、土壌と水資源を汚染させないためです。

    今日、あらゆる香辛料は、商品陳列効果のために遮光性を犠牲にした容器で売られていますが、MAWSIMでは、高価なスパイスは高価な茶葉と同じように扱うべきと考えます。そもそもECが主体の我々にとって、中身が見えないことは大前提でした。