岐阜の清水、蛮雨にまじわる ― 蒸溜家・辰巳祥平 × MAWSIM
クラフトジンという言葉が、日本でようやく語られ始めた頃、岐阜の山間の町・郡上に、ひとつの蒸溜所が誕生した。
清冽な水に惹かれ、この地を選んだのは、世界を旅して酒を知り尽くした蒸溜家・辰巳祥平。
町を囲繞する山々の稜線が、アブサンの聖地として知られるジュラ山地を彷彿とさせ、彼にとっては運命的な地だったのかもしれない。
酒粕からつくるベーススピリッツに、和洋のボタニカルを組み合わせたジンは、瞬く間に国内外の話題となり、“ジャパニーズ・クラフトジン”という言葉すらなかった時代に、その草分けとして知られる存在となった。
いまや伝説とも称される辰巳蒸留所の扉を、2019年のある日、MAWSIM は叩いた。
清流・長良川のほとりから、熱帯アジアのメコン川に辿り着いた MAWSIM にとって、その源流を湛える郡上に、偉大な先達を訪ねるのは必然であった。
(プロフィール)
辰巳祥平
株式会社アルケミエ代表。
「美味い蒸溜酒は、美味い醸造酒から生まれる」と考え、夏から秋にかけてはワインを、冬から春にかけては芋焼酎や日本酒を造り、醸造と蒸溜の両方を学ぶ。また焼酎の起源を求めて東南アジアへ、ワインの故郷を追ってコーカサス地方へと旅するなど、各地の酒を飲み歩いて見識を深めてきた。これまで訪ねた国は29、門を叩いた酒造は700を超える。
https://www.facebook.com/TatsumiDistillery
当時 ― MAWSIM のジン造りが、まだスケッチの段階にすぎなかったとき。
とりあえず、バスタブでコンセプトを表現してみたとき。
2ℓの蒸溜器で、初めて蒸溜液を得たとき。
プノンペンの蒸溜所でレシピが完成したとき。
そして、製品が完成したとき ― 折に触れて、辰巳氏にはご意見やご感想をいただいてきた。
酒造りの経験がなかった我々には、果たして何が「正解」なのか分からなかった。
けれど、辰巳氏の感想は、いつも決まってこうだった。
― 美味しいですね。
辰巳氏もまた、常に探求者である。
きっと「正解」など、そもそも存在しないのだろう。
技術的なことや、使用する道具のことを尋ねたときも、彼のスタンスは一貫して「僕はこうしている」というものだった。
それは、道標というより、新しい岐路の示唆のようだった。

辰巳祥平、MAWSIM を蒸溜する
2024年、香りがつないだ縁が、ついにその人をここへ連れてきた。
岐阜・郡上の蒸溜家、辰巳祥平氏が、プノンペンの MAWSIM 蒸溜所を訪れたのだ。
湿気とスパイスが渦巻く市場、香りが層をなす南国特有の空気。
その中で彼が見せた、子どものように輝く眼差しを、我々は今もはっきりと覚えている。
熱帯の風土に触れた辰巳氏の食指は、すぐに動き出した。
そうして生まれたのが、アルケミエ × MAWSIM のスペシャルコラボバッチなのである。
辰巳氏の感性で、MAWSIM GIN|SPICES & HERBS を再解釈。
スパイスのいくつかが即興的に増量され、そこにクメールバジル、モリンガ、ココナッツ、そしてホワイト・ブラック・ロング ― 三種のペッパーが加わった。
スパイスの温かみとハーブの甘みを増幅しながらも、MAWSIMらしい切れ味を保った一本。
それはまるで、モンスーンの蛮雨に一条の清流が流れ込んだような、熱さと冷っこさが融け合ったときのゆらぎのような、そんなジンだった。
発信は、MAWSIM のSNSのみ。
それでも、限定300本はわずか4日で完売となった。
静かに放たれたその香りは、確かに、届くべき人の嗅覚に届いたのだ。
そしてその翌月。
今度は辰巳蒸留所の「YES DOG!」シリーズに、MAWSIM がカンボジアから届けたモンドルキリのペッパーとワイルドカルダモンが加わった。
それは、まさに香りの“往還”のような出来事だった。
970本限定のボトルは、こちらも瞬く間に完売。
熱帯の雨が育んだスパイスが、郡上の山へと遡上し、辰巳蒸留所のカブト釡の中で新たな命を得たのである。

蒸溜 ― 土地の香りを水にうつす
旅の果てに岐阜に辿り着いた辰巳蒸留所と、岐阜を源に熱帯へと旅立った MAWSIM。
いずれも、その土地の気配を蒸溜し、その息遣いを香りで語る。
まったく異なる風土を背景にしながらも、両者に通底するのは「その土地の自然と、可能性に寄り添う」という蒸溜哲学だ。
太平洋にそそぐ長良川と、南シナ海に注ぐメコン川。
遠く離れたふたつの流れは、大海の底でひそかに交わり、シュリーレン現象を起こしているのだ。
